「 時が満ちて」・・・(ガラテヤ4:4-5)
伝道者の書3章1節に、「天の下では何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある」とあります。それは、この地上で起きる全てのことには、神の摂理によって定められた「時」があるという意味です。
この個所からクリスマスにキリストが誕生した「時」について見てみましょう。
1.神が御子を地上に送られた時とはどういう時であったのか。
2.神が御子を地上に送られた目的は何だったのか。
Ⅰ.神が御子を地上に送られた時(4節):
1.4節に「しかし、時が満ちて、神は」とありますが、ここでの「時が満ちて」とは一体何 を意味しているのでしょうか。それは、創世3:15の約束の時が、長い歴史を経て、今丁度、到来した、という意味です。
御子イエス・キリストを、人類の歴史の、どの時点で送るか、それは神ご自身が永遠の昔から定めておられた、神にとって最もふさわしい時であったはずです。それはまた同時に、地上においても、キリストが来られるための準備が、神が行動を起こされる用意が十分整った時でもありました。
Ⅱ.神が御子を地上に送られた目的(5節):
5節には、その目的について2つのことが述べられています。
1.第1の目的は、「律法の下にある者を(=律法に縛られている者を)贖い出すためである」とあります。
「贖う」とは奴隷市場から取られたことばです。それは、奴隷が代金を払って、その奴隷市場から買い取られ、自由にされることを意味しています。それは私たちの救いを意味しています。 今日、私たちの多くも、神に背いているゆえに、利己的で、自我に支配されています。自力でその鎖を断ち切ることはできません。その結果、やがて神の裁きを受けなければならないと聖書は語っています。
しかし、キリストがこの世に人となって来られたのは、そのような罪の奴隷状態から私たちを解放し、自由にするためだと言っているのです。→ヨハネ3:16:には「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに(=十字架において私たちのために犠牲とされたほどに)世を愛された(=私を、あなたを愛された。)」とあります。
2.キリストが来られた2つ目の目的、それは私たちを単に罪の奴隷状態から解放し、自由にするだけではなく、神の養子にするためです。5節b:「私たちが子としての身分を受けるためでした。」神に敵対し、罪の奴隷として滅ぼされて当然の私たちが、キリストを信じることにより、キリストにある富の豊かさ、祝福を受け、それらを永遠の喜び楽しむようにされる、ということです。何という一方的な恵みと特権でしょうか。私たちはそのことを日々どれだけ自覚し、神に感謝しつつ歩んでいると言えるでしょうか。
クリスマスとは、そのようにキリストの誕生によってもたらされた、大いなる救いと恵みに深く感謝し、神を大いにほめたたえるべき時なのです。
Ⅲ.最後に、私たちの救いと神の時について、考察しましょう。
私たちの救いに関してはっきり言える事は、そのために時を定め、主導権を取られたのは神であるということです。私たちが様々な人生の悩み苦しみの中でもがいていた時に、神はそのことを知り、私たちがキリストに出会えるように時や状況を整え、また、周りの人々を動かし、私たちを救いに導いて下さった、そしてそれは自分にとって最善の時であったと、だれもが告白せざるを得ないのではないでしょうか。
私のケースもまさにそうでした。大学に入ったものの、私はこれからの人生、何を目指し、どう生きて行ったらいいのかと一人で思い悩み、不安な日々を過ごしていました。その時友人から、キャンプに誘われ、2つ返事で参加したそのキャンプで、私はキリストの愛を知り、キリストを信じ救われて帰ってきました。私の人生は一変しました。それはまさに私に対する神の救いの時だったのです。
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「わたしを呼べ」(エレミヤ33:1-9)
この箇所から祈りについての3つのチャレンジを学びます。
1「困難な時こそ神を呼べ」というチャレンジ
エレミヤはこの時牢獄に囚われていました。神のスポークスマンとして忠実
に神に仕えていたにも関わらず、エレミヤの立場は危うくなりました。しか
し、神は31:3でこう言われました。「わたしを呼べ」と。エレミヤに語られ
た神は、こんにちに生きる私たちにも同じように「他の誰でもない。わたし
を呼べと力強く語り掛けてくださるのです。
Ⅱ 「知性をもって神を呼べ」というチャレンジ
神とはそういう方であるかを私たちは聖書を通して知っているでしょうか?
確信を持って神に助けを求めるには、その方を良く知る必要があります。2
節では「地を造った主、それを形造って固く立てた主、その名が主であられ
る方が言われる。」と神について語られています。神への信頼がこの説明に
よって増したことは言うまでもないでしょう。神は実に無から有を生じさせ
る創造主であり、ご自身のみこころに従って事を成し遂げる全能の神である
のです。
Ⅲ「期待をもって神を呼べ」というチャレンジ
確信をもって神に助けを呼び求める者に対して、3節で神は約束を与えてい
ます。それは「わたしは、あなたに答える」という約束です。更に「わたし
は、あなたの知らない、理解を超えた大いなることをあなたに告げよう。」
と続けられました。理解を超えた大いなる事とは、ここではユダに対する
将来の計画を指します。将来の事を明かすことが出来るのは神のみです。
私たちの将来に対しても、神は大いなるチャレンジを与えていてくださいま
す。神を信仰を持って呼ぶ者には、必ず私たちの知らない理解を超えた大い
なることを告げると約束してくださいました。
どんな時にも、神に目を注ぎ神を呼び求めましょう。個人的にも、教会とし
てもコロナによって閉じられた門を開いていただけるように神を呼び求めま
しょう。